他人のために叱る勇気を持て!

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最近は教育現場においても「叱る」という言葉に敏感になっているようです。「叱る=体罰」という考え方がどうしても抜けきらないのでしょう。本当に難しい社会になりました。

 

少しでも生徒に大声を張り上げれば、それはもう体罰と見なされて、それこそモンスターペアレントが一気に学校に押しかけてくるという恐ろしい話しを聴いたことがあります。

 

私が学生の頃は体罰は当たり前で、毎日のように何かにつけてはビンタされていたように記憶しています。でもそれが当たり前のことだと思っていましたから時代は変わりました。

 

こんな現状では、先生の成り手が無くなるのも頷ける話しですね。このことで益々、先生の質が落ちては逆に教育現場が衰退していくのではと危惧するのは私だけではないはずです。

 

会社においても「パワハラ」などという言葉が出来るように、上司が部下を叱るという行為に対して過敏に反応してしまい、何か事あるごとに裁判沙汰になるのも昔では考えられないことです。

 

確かに昔から嫌な上司っていました。何かにつけては嫌味をいうムカつく存在です。そんな上司に限って、そのまた上の人間に対してへつらう姿は見るに耐えない醜いものがありました。

 

現在ではリストラ対象者に対する嫌がらせ問題もよくニュースで見ますし、「ブラック企業」なる言葉が出てきては、企業経営者の質が問われている時代であることは間違いありません。

 

もちろんこのように相手の心身を傷つけるような行為は間違いなく否定すべきです。自分本位の感情の押し付けや、力の無い存在に対する圧力はただの暴力そのものだということです。

 

最近でもあの電通での過剰な労働環境に、一人の女性が自殺するという悲しい出来事がありました。その本質はパワハラだったという噂が流れるほどですから親御さんから言わせれば言葉もありません。

 

ただここで知っていて欲しいのは「怒る」と「叱る」とは違います。「怒る」とは感情を相手に威喝を持って押し付ける行為ですが、私がここで言う「叱る」とは全く異なっています。

 

そう、私がいう「叱る」とは相手を思う心ありきのことを指します。

 

そう、私がいう「叱る」とは相手の成長を願うことを指します。

 

そう、私がいう「叱る」側とは感情に左右されない冷静さを持ち合わせます。

 

そう、私がいう「叱る」とは相手に対する愛情あって初めて成り立ちます。

 

人が人を導く時に、このような「叱る」という行為は、相手の気づきを求めるものであり、またその方にとって期待する方向性の間違いを修正する際に最も必要なものになります。

 

人間とは「快適と苦痛の法則」の通りに、自分にとっての快適を求め、苦痛から逃れようとする生き物です。この快適と苦痛を履き違えているからこそ、自分の思った通りにいかないのです。

 

成功者は成功するための行為を快適と感じ、貧乏になる行為に対しては苦痛を感じます。逆に、普通の方々は貧乏になる怠惰なことを快適と感じ、自己成長に関しては苦痛と感じるのです。

 

そのような思考習慣は今までの人生において培われており、それを修正することは容易ではありません。まして、それを理解していなければ、どんなに相手を思っての「叱り」も全くの無意味です。

 

人間というのは、基本的に自己本位なものです。ですから自分が正しいと思っていることを否定されると拒絶するのです。ここで謙虚に自分を真剣に考えてくれる助言に耳を傾けられるかどうかですね。

 

ただ、だからといってナアナアにすれば間違いなくそこに成長はありません。であれば例え嫌われようとも、大切な方に対しては「叱る」勇気を持って欲しいものです。まさしく親子関係がそうです。

 

親は子供の幸せを願って、いけないことはいけないと叱ります。そこにあるのは子供に対する無償の愛情だけです。例え、うるさがれようとも、子供が幸せになるためには甘やかすだけではいけません。

 

叱り方、間違っていませんか?

 

叱る勇気を持っていますか?

 

何のために叱るか知っていますか?

 

叱った先にあるものが見えていますか?

 

好かれたい余りに「叱る」覚悟を持っていない方々が多すぎます。「叱る」とは自分の全てを相手にフォーカスしなければいけません。そんな勇気を持っていないからこそ「怒る」か「無視」になるのです。

 

いい大人がいい加減気づきなさい!

 

本当に大切に思っているなら、本当に成長して欲しいと思っているなら、綺麗事だけでは済まされない場面が多々あります。そんな時に自己保全に走ってどうするのですか?、それを無責任と言います。

 

どうか他人のために叱る勇気を持ってほしいものです。繰り返しますが「叱る」とは恫喝することではありません。相手の性格に合わせて相手が理解しやすいように悟させることです。

 

また思考や行動の修正を強制するものでもありません。自ら気づくキッカケを作ってあげることが重要です。そのための厳しい言葉は人間関係、特に指導する際には必要なことです。

 

それこそが「人を育てる」ことに繋がり、その人にとって最善の接し方だと思うのです。確かに褒めたり、優しい言葉をかける方が楽です。でもそれだけでは成長はあり得ません。

 

人は間違うんです。逆に間違うから進歩があるんです。その間違いをキチンと指摘してあげないことは、ある意味「指導の放棄」そのものです。であれば人を導くことは出来ません。

 

時に誤解を与えてしまうこともありますが、その誤解を乗り越えた関係になった時に初めて最高の人間関係が作れるのです。親と子、先生を生徒、上司と部下、師と弟子、みんな一緒です。

 

どうか叱るほど愛してあげて下さい。

 

どうか叱る勇気を持って下さい。

 

どうか叱る人格を有して下さい。

 

人の道しるべになって導くことは、先人にとっての努めだと私は思っています。どうかお互いの成長のためにも「叱る」という行為に、目を背けることの無いよう精進していきましょう。

 

感謝

 

下村しげお

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